正月に実家に帰った際に、時間潰し用に買った本。
Twitterの中受親TLでは殆どの親が読んでんじゃって勢いだった本です。教育評論家のおおたとしまさ氏が書いた、ほぼ実話な中学受験エピソード3本。塾名も学校名も全て実名が出てます。そういう意味ではリアル。3つある話のうち第一志望校に受かったのは1家族のみ、という過酷さ残酷さも現実的ですね。
私が読んで一番印象深かったのは、3冠(灘・開成・筑駒)に最も近かった男の子のお母さんでしょうか。
「アルファに入れないとサピに通う意味はない」
って、実際に言う人リアルにいるんだな~~~~~っていう(悪い意味での)驚きがあった。この子の出来具合からするに、絶対にサピ行った方が良かっただろって読んだ人99%思うんですけど、この子は授業料免除の特待が出ていたゆえに、ワセアカに通ってしまうんですね~~~。
で、私はくっそ意地が悪い読み方をするタイプなので、「あー、これお金に余裕あって最初からサピ通ってたら、<サピ以外塾じゃねえ/眼中ないんで~>みたいな、サピックスのトピにわらわら集まってくるような鼻息荒いサピ親になるんだろーなー間違いねえ~~~っ」てニヤニヤしてしまうわけなんです。むしろ中学受験云々より、言葉の端々から見える親の傲慢さみたいなのが一番リアルなんじゃないかって思う本です。
そういう意味で一番不幸だったのは、この子がサピに通わなかったこと。
いや、金銭的に通えなかったこと/親がこの子に教育費全振りできなかったこと、だろうか(地理的に通えなかったわけではないだろうし)
少し意地悪なことを書きましたが、でもこの子のお母さんは別に悪い人ではないし、子供のことをちゃんと考えているお母さんだと思う。
でもさ、おおたさんも後書きで書いていたけれど、押さえの聖光だって中学受験の(偏差値的な価値観で言えば)十分に勝ち組なのですよ。そこを目指して泣いた子供が沢山いるのですから。
これ全落ちだったらこんな取材受けてない/協力してないですよ。聖光に合格を決めた「勝ち組」ママ、と事情を知らない人からは思われる優位な状況こそがこのお母さんをギリギリ正気に(善性に)引き止めているのかなと私は意地の悪い読み方をしました。
「聖光に合格し、通った」という揺るがない事実があったからこそ、今の子供の心の荒み具合に向き合えたというか。人間のそこはかとないプライドという業の深さを感じたというか。夫の方はもう救いようがないので放っておくしかない。
なんでこんなこと書いたかというと、このエピソードの一番終わりの、このお母さんの言葉がこの本の中で一番印象に残ったからです。
すなわち。
「こんな風に受験の失敗や反省を発信して行ったとしても、鼻息荒くしている新米受験ママの耳には決して届かない」
という無力感です。
これは本当にその通り。これを読んだ小学校低学年のお母さんが「参考にしなきゃ……」って思ったとしても、やはり5年後半辺りからおかしくなっていくに違いない。一度それらを経験した者は、「これだけ自戒したところで、時期が来れば自分もおかしくなるのだ(なったのだ)/恐らく次の受験でもそうであろう」という事実を粛々と受け入れるのみである……。狂気の当事者過ぎて「参考に」みたいな部外者発言にすらなれないという……。
このお母さんは何年後かに中学受験を目指す親たちのグループラインに入っていて、「マーチ付属校の説明会の予約が取れない~」みたいなのを「滑稽だな」と思いつつ眺めている。その後に上記の台詞なのですが。
いや、まだ上から目線が抜けてなくね!????
(って思ったのは私だけではないはず多分)
うーん、子供マウントの業は深い。無意識的なものなのだろうか。それともおおたさんの表現だとか記述の問題?
で、この話が1番目に出てきた、サピに通う男の子のお父さんに繋がっていくのかなと思いました。サピでもアルファではない(それでも世間的には十分に優秀だと思う)男の子の話。3冠の親に内心でマウントを取られていたかもしれない、サピの梅クラス(って、それでも十分すごいよ!)の親子だ。
私はこのお父さんに一番好感を持ちました。
3番めの女の子はこの本の救いとして描かれているので、安心して読めます。
このお父さんは、最初は「麻布か~御三家もいいな~」みたいなところからスタートして、「栄光で! 栄光が憧れ校!!」「ん~慶応普通部で!」「いや浅野もいいよね!」「サレジオもいいよね」みたいな、中学受験あるあるすぎる流れを淡々と受け入れてるところだと思うw 我が家も「渋幕いいよね!!」からスタートしたのでw
「第3希望に通うために3年間やったのか~」みたいな弱音を真摯に吐いてくれるところも良いです。だって、ストレートに全勝した人以外、大体思うことですからw
おおたさんが言う通り、「第1希望以外は全部第2希望」状態で親は子供に諭しますよ。「どこもいい学校だよ」と、それでもそれは子供に対する建前であって、親だって口には出せない本音がありますもの。偏差値が全てではない。分かってはいても、つい漏れてしまう本音や弱音が親にはあるもの。だって、3年間ひたむきな子供の背中を見てきたんだから。
このお父さんはそういう、自分の甘さや打算と誠実に向き合う辺り、良いお父さんなだろうなと思いました。偏差値が落ち気味だった子供に「栄光受けろ!!」とか発破かけて強要しなかったから……(それでもその併願はどうなんだってくらいに強気だったが……)
この強気っぷりはもしかしたら潜在的に「偏差値**以下は受けさせない」みたいな気持ちが働いたのかもしれないよね。分かんないけど。
とにかく、そういう意地の悪い邪推が出来てしまう、中学受験って本当に親の見栄や弱さや愚かさが垣間見える魔境やな~と強く思わせてくれる良書でした。
は~~。
次女でもう一回これやるの嫌すぎるわぁ。
1番目のエピソードのお父さんの言葉が刺さる。
「(中学受験に)疲れた」
ちなみに、このお父さんは息子と並走していたので「やるべきことは全てやった」と言っていたが、我が家は完全に自走だったのでそこまでの達成感はない。
だが長女がたまにぽつりと漏らすことがある。
「(中学受験)まだまだやれたな~100%の本気にはなりきれなかったな~」と。
いや、やらんかい!!
っていうね。
それも含めての君の結果なのだよ(希望校には入ったが途中ボロッボロだった)
その反省や悔しさを大学受験で生かして欲しい。